抗がん剤の歩みと遺伝子変異検査の定着化
タグリッソ使用歴5年の のまネコです。今回は、抗がん剤の歩みと間違った分子標的薬の処方によって定着化した、遺伝子変異検査について書きます。(この記事は、90秒で読めます。)
過去のがん治療
がんを薬で治療する方法は、2001年(平成13年)ごろまで、吐き気の強い抗がん剤の点滴による治療法しかありませんでした。
強い吐き気などの副作用を抑える薬もなく、ほとんどの人が点滴後に病室でバケツにゲーゲー吐いていたそうです。
2002年(平成14年)以降は、吐き気を抑えるデカドロンやプリンペランが発売されて、吐き気の症状を抑える事ができるようになりました。
分子標的薬の発売
同じ年の8月、分子標的薬(遺伝子変異をターゲットとした飲み薬)として、イレッサが発売され、これを期に世界の製薬会社が分子標的薬の開発に乗り出しました。
肺腺(非小細胞)がんに関しては、これまで
第1世代
イレッサゲ(フィチニブ)
タルセバ(エル ロチニブ)
第2世代
ジオトリフ(アファチニブ)
第3世代
タグリッソ(オシメルチニブ)
※( )は物質名
が発売されています。
イレッサ服用の悲劇と遺伝子変異検査の定着化
しかし、スピード承認されたイレッサに関しては、悲劇がありました。
イレッサは、国内初の分子標的薬だったので、マスコミは、「夢の新薬」と報じ、医療現場では、「副作用は少なく、延命効果が高い」と期待され、無差別に多くのがん患者に投与されました。
その結果、約4年間で643人の方が急性肺障害や間質接性肺炎などで亡くなり、イレッサ訴訟(被告勝訴)が起きました。
亡くなった方は残念ですが、その後の臨床試験でイレッサは、EGFR遺伝子の変異を持つ患者以外に効果がないと分かり、遺伝子変異検査が定着化するようになったのです。
今では当たり前となった遺伝子変異検査は、多くの犠牲者から成り立ったとは悲しい事ですね。
覚えて置かなければならい歴史の1つだと思います。